2014年12月某日 劇団R&C稽古場にて
撮影:近藤輝美

劇団R&C出身者の広瀬多加代さんと山本育代さん。劇団での思い出話をお伺いしました。




《劇団RNCのできるまで》
山本 普段からお忙しくされている広瀬さんです。年の瀬に、本当にありがとうございました。
広瀬 稽古場は寒いから心配していたけど、暖かくて良かった。
山本 対談ということで、古いもん順でお話をお伺いしていこうという企画だそうです。広瀬さんの経歴は300年でしたっけ?
広瀬 (笑)RNC放送劇団創立が1959年。劇団RNCが独立したのが1976年。もう55年前。劇団R&Cに改名したのが22年前になるわね。
山本 私が劇団RNCを退団した年にリトルウイングを創りました。もう24年になります。
二人 早いわねえ(笑)
広瀬 放送劇団と言ってもラジオの時代だったから、声でお芝居をする世界。芝居以外にもCMもすごい本数を撮っていたの。
山本 演劇とアナウンスとは、違いますよね。
広瀬 そう、聞かせ方が違うのね。勉強にはなるのだけれど、後に劇団RNCの代表となる八木亮三(八木さん)が演出として参加されてから、「これではいかん!」と思われて劇場芝居を創る事になったの。
山本 それはRNC放送劇団として?
広瀬 そう「現代劇小劇場」と銘打って。ちょうど香川県立文化会館が出来たところで、毎週小劇場を上演したり。最初は翻訳劇からスタートして。
山本 今のようにテーマを大事にしたオリジナルをする事になったのは?

広瀬 放送劇団が出来て、5~6年かしら。香川県では文化や芸術が育たない!と言われていたから、なにくそって!気持ちが大きかった。
山本 その頃から言われていたのですか?(笑)
広瀬 「こどもの劇場公演」で名作を上演し始めてまもなく、劇団四季の浅利慶太氏と、八木さんとの間で、「RNC演劇ゼミナール」を開催を機に、給費国内留学生制度を設けたの。四季に人材派遣し勉強をさせてもらったり、研究所に入所させていただいたりして、その他にも劇団四季の方々から多くの事を学ぶ事が出来たと思うの。そして、全国に出ていくように。


※1:「瀬戸内海シリーズ」は劇団R&Cのオリジナル作品。


広瀬多加代・・・劇団RNC創設時から中心メンバーとして活動
受賞歴:全国児童・青少年演劇協議会奨励賞、O夫人児童演劇賞
香川県教育文化功労者表彰、高松市文化奨励賞
劇団R&C 略歴

《全国での演劇公演・・・ヒロシマ》
山本 機に劇団RNCとして独立されたのですね。そこからプロとして歩いていかれますね。不安はなかったですか?
広瀬 生活できないから、タレント業も兼ねてテレビやラジオのCMや司会もやったわねえ。そんなのも含めて運営って感じだったわ。でも、不安は一切なかった。
山本 私が劇団RNCに入団した時は、初任給7万円でした。少ないですよね。よく生活できたなって(笑)でも当時は、好きなお芝居が出来て、お金がもらえて、幸せだったです。でも、その道筋は先輩方が創ってくれていたんです。
広瀬 そうね。県外公演が多かったから、北海道から沖縄まで出ずっぱりの生活。営業で各地に出向いたり、公演の際も、みんなで分担し、宿の手配から交通、運搬の段取り。公演当日は仕込みからバラシまでみんなで。高松に帰ってきたら荷物をまとめて、また出直して(笑)
山本 交通担当でした(笑)いっぱい失敗しては怒られて。
広瀬 体調崩してでも、本番は待ってくれないから(笑)それでも、一度も穴を空ける事はなかったわ。頑張ったわねえ。
山本 年間200ステージ上演していました。私が7年間の在籍中でもいろんな事がありました。少ない人数で限りがありながらも助け合って。
広瀬 ねえ(笑)。そうそう、不安といえば、一度だけ不安になった事があったの。「瀬戸内海シリーズ」(※1)の公演企画説明の会議を広島の呉市で行った際に、地元の方に「ヒロシマの事をよく知らなくて、ヒロシマを描くのは大変な事ですよ。県外の人で、体験もしていない人に芝居を創られるのはどうだろうか。」と言われた時、言葉が出なかったの。もちろん、演じる私自身の想いはあったのだけれど、代表として本を書いて創り上げていく八木さんの想いを超える言葉はなくて、上演するまでの不安は大きかった。
山本 子ども達からの手紙が、上演する事の重要性を教えてくれました。役に自分を重ねてくれた手紙をたくさんもらいました。原爆で生きたくても生きられなかった子どもたちの命と・・・。
広瀬 「いじめ」「自殺」が社会問題になってきた時だったから・・・。「生きてほしい。」と、命をテーマに上演してきたの。今でも手紙をもらった子とやり取りがあって。もう20年以上になるわね(笑)。演劇には子どもの気持ちに迫っていく力があると思うの。
山本 広瀬さんの揺るぎのない姿勢は、そこにあるのですね。
広瀬 子どもたちの手紙に、励まされたり、気づかされたり、教えられたり。逆に作品の中にこんなに強いメッセージが込められているのか。演劇の持つ大きな可能性を感じさせてもらえた事が、続けていく自信につながったの。「何が何でもやるぞ!」です(笑)。
山本 一人芝居、朗読と、さまざまなご活動を続けられていらっしゃいます。世界中どこかで戦争があり、状況をネットを通じて知る事が出来る時代です。「争いの身近さ」に違和感を感じています。
広瀬 手記や詩を通じて、一人一人にメッセージを伝える事を大事にしたいと・・・。

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劇団は育成の場


《心が通い合う空間=稽古場》
広瀬 先日のぶんか芸術祭主催公演「ロミオとジュリエット」、演出、お疲れ様。子ども達、頑張っていたわね。
山本 下は4歳から、初めて演劇に触れる子も多く、何といってもシェイクスピアを全員知らず、ロミジュリも聞いた事がある程度(笑)。そして、全員子どもで上演する事にしました。大半がイベントに参加する様な気持ちだったと思います。
広瀬 どういう風にあそこまで?
山本 チームワークを大事にしました。多感な時期にいる子も多かったのですが、全員で全員のカバーをする様にしました。週に一度、会えるか会えないか、全員揃った稽古は全部で3回位です。そんな稽古の状況なので、来れる人で夏休みに合宿もしました(笑)。
広瀬 それは楽しいわね(笑)。
山本 そうなんですよ。みんな、演劇の入口なんですね。遊びの延長線上で、常に楽しんで良い空気を大事にしました。休憩時間に見ていると全員他の役で本読みをしていたり、他の子のクセをみんなで真似したり。で、開演前はみんな車座で膝突き合わせてお喋りしていました。
広瀬 本番前、緊張したんでしょうね。
山本 4か月一緒だったから、公演が終わるのが寂しいのもあるのかなあ。学年や学校を超えて心を開放できる仲間たちって感じでした。
広瀬 あの子たちならではの色だった。気持ちの良いお芝居。舞台から伝わるわね。貴重な体験だし、育成の期間になるわね。大事だと思うの。ワークショップみたいなのは多いけど、全く違うわね。
山本 向き合ってもらえる事に飢えていると思います。だから、ただ「楽しい」ではいけないと思います。楽しむ為には、大事にしなければいけない事があると思います。意識したのは挨拶と稽古する空間を大事にする事。それはスタッフ皆さんにも意識して徹底をお願いしました。
広瀬 劇団によって考え方も違うしね。
山本 はい、もちろん皆さんのやり方も尊重しながらですが。7年間と短い期間ですが、プロとして活動させて頂いて、教えられる事が多かった。今も原点になっていると思います。


山本育代・・・パフォーマンスカンパニーリトルウイング代表 脚本・演出・振付家
リトルウイングホームページ



《八木さんから教わった》
広瀬 八木さん(※1)からは、演技について厳しく育てられたわ。認めてもらいたくて、頑張って。でも最後まで認めてもらえなくって。
山本 お二人はそんな次元の関係ではないですよ。
広瀬 「生活そのものを大事にしなさい。」生の舞台はその人そのものが出るから、音楽、演劇、美術など、ジャンルを問わずいろんなものに触れて、感性を磨いて、センス良く生きなさいって。
山本 八木さん、お洒落さんでした。
広瀬 歩き方、姿勢が変わるから、かかとの高い靴を履きなさい!稽古場は整理!整頓!清掃!道具を大事にしなさいって稽古場を整理したり、丁寧に扱う事で、貴重な物になる。
山本 いとおしい物になる。
広瀬 「仕込みは集中しなさい。」
山本 ああ!八木さんが仕込みにいらっしゃるのが、嫌でした。絶対口出すから、遅くなるんです。蘇える!
広瀬 親に言ってもらえない事、甘えさせてもらえないものが『劇団』にはあったわね。宇野重吉さんも怖い方だったみたいよ。「苦労しなさい。勉強しなさい。素直な気持ちで、まず聞きなさい。」
山本 ああ、耳が痛い(笑)
広瀬 今、その言葉の意味が分かるわ。ありがたいわね。感謝しているの。
山本 言ってもらえる存在がある事が永遠だと思ってました、八木さんが一昨年亡くなられるまでは。
広瀬 「旋風のごとく」も「星の王子さま」も観られて、褒められてましたよ。
山本 ほんまですか?・・・八木さんに言われると、いかんです・・・。八木さんがされてきた事を知らないと思うんです。私自身若かったので、口うるさいぐらいにしか受け取ってなくて、恥ずかしい。偲ぶ会では劇団四季の重役(※2)の方もお越し下って、全国児童青少年演劇協議会の元事務局長荒木さん(※3)の弔辞の言葉のすごかった事。お手伝いをさせていただいたから感じ取れることもあって、感謝です。
広瀬 児童演劇発展のための、佐渡島での演劇祭、演劇の質を高める為でもあった、小豆島での演劇祭。すごい思いで取り組まれたのね。壮絶だったわ。偲ぶ会を通じて感じ取ってもらえたとも思っているし、残された私たちが伝えていく番だわね。
山本 はい。

※1 八木亮三氏・・・劇団R&C主催者 略歴八木亮三氏
※2 佐々木典夫氏
※3 荒木昭夫氏・・・京都在中。全国児童青少年演劇協議会を立ち上げたメンバーの一人


編集後記・・・心和む気持ちの良い時間を過ごさせていただきました。                
       演劇の大切さを感じました。 
       お二人ともありがとうございました。

2014年12月某日 劇団R&C稽古場にて