崎山さんが好きだった言葉
スペイン語で「また明日」の意
「明日があるさ」という楽天的な南米人気質を表した言葉です。
崎山征二郎 略歴
1945年 福岡県門司(現北九州市)生れ
1957年 中学一年の秋の文化祭で初舞台
以降、高校大学と演劇部で活躍
1964年 香川大学経済学部入学
香川労演(現香川市民劇場)に入会
1968年 香川大学卒業
香川労演事務局専従となる
香川労演事務局長となり現在に至る
1971年 結婚 以後二男一女を儲ける
1986年~1988年 全国演劇鑑賞団体連絡会議 中四国代表幹事
1989年~2007年 全国演劇鑑賞団体連絡会議 四国代表幹事
2002年 全国演劇鑑賞団体連絡会議より感謝状授与
1999年 崎山征二郎氏、市民劇場事務局長30年をねぎらう会
2017年10月9日永眠(享年72歳)
香川市民劇場 略歴
1956年 朝鮮戦争終演後、日本の文化発展を労働者たちが求める時代。
全国では農村歌舞伎や職場演劇等が盛んになる。
労演の誕生。
戦後10年の間、香川では前進座や新制作座等の公演が個々の活動で行われていました。
その中で劇団中芸(東京芸術座の前身)が婦人参政10周年、イプセン生誕百年を記念して
「人形の家」を地元の女性たちの力によって1956年はじめに上演。
7月「あゝバラの花はどこに咲く」の公演によって、香川市民劇場が始まる。
1963年 高松市民会館こけら落とし「十二夜」俳優座。会員が1,000名を超える。
(右 学生時代の崎山氏)
1962年 「香川労演」に改名。
全国労演連絡協議会(現全国演鑑連)等での交流の中、活動が活発化。
1965年~1967年 年間7舞台2ステージ時代に(旧高松市民会館にて)。
1974年 「労演」から「香川市民劇場」へ名称を戻す。
―より広域に人々に伝わるために、サークル活動を活発にして
演劇の魅力を広めよう―
1980年~1982年 現運営体制の基盤を構築。
1987年 再び、2ステージ開始。
1989年 昼例会の開始。
高松市以外の会員が増えてくる。
1993年 史上最高会員数3,680名。
1995年 丸亀例会開始。
1997年 運営サークルの充実。
2000年 香川県民ホール大ホールにて例会実施。
2003年 アクトホールにて例会実施。
2018年現在 年間6例会実施中。