2015年8月某日 劇団マグダレーナ稽古場にて
撮影:大貫智子
金川 本日はよろしくお願いします。、お忙しいですか?
大西 こちらこそ、よろしく。そうだねえ、一年が早いよ。
金川 年に2本上演ですよね。脚本も書かれて演出だと、お休み期間ってないですね。
大西 6月に一本やって、7月に台本書いて、11月もう一本上演って感じかな。
金川 うわあ、大変。
大塚 それが普通になってるから。
金川 マグダレーナ発足から31年経つんですね。その前はどんな演劇活動をされていたんですか。
大西 実は演劇から離れていた間が25年あるから。え~と高校演劇から、松山NHK放送劇団に3年間所属。香川に移ってから、「ドラマサロン」と「るみえーる」に少しだけ席を置いて。
金川 るみえーる?
大西 昔あったんだよね。民話劇が多かった。良い劇団だったよ。でも、映画好きの格好つけた僕は、入ってすぐに作品に口出したり意見言ったり、20代で生意気だったよね。そんなやつだった。でもまあ、生意気なりに頑張っていたんだけど、仕事が忙しくて、観音寺公演の時に開演してから到着するくらいの事をやってしまって、ずいぶん迷惑をかけてしまった。仕事やってると芝居はできない。それで演劇をやめた。観る事からも離れたよ。
金川 25年離れるって、よっぽどだったんですね。
大西 きっかけがなかったと言うか、映画がもともと好きで映画ばかり見ていたね。きっかけは、マグダレーナが山田太一の「早春スケッチブック」を上演するって事を知ったから。映像でなく舞台でってのと、ちょうど息子がそんな年代で作品内容が当時の心情と重なって、舞台を観たいなって気持ちが動いたんだよ。
金川 稽古場に見学に行かれたんですね。柴田さんいらっしゃいましたか?(笑)
大西 そう、彼が、「観ていってくださいよ。」「何かやってたんですか?」「スタッフがいなくてね。」「ちょっと手伝って。」って(笑)
金川 柴田さんだあ(笑)
大西 そう、彼らしいよね。誰にでもそうだった。引き込むのがうまい。それで演劇生活が始まって31年なんだから。
大西恵・・・脚本家・演出家
劇団マグダレーナ facebook
《出会い》
金川 大西さんとの出会いは、きっとその前からだとは思うんですが、1997年の香川県で行われた「国民文化祭」演劇部門でご一緒した事がはっきりと覚えています。
大西 そう。確かにその前に会ってると思うんだけどね。
金川 私は劇団冒険主義出身で、私もその柴田さんに誘われました。(笑)冒険主義から劇団浪漫座の公演のお手伝いに2回入ったのが、けっこう勉強になりました。それから劇団暖団を立ち上げた年に国民文化祭の舞台監督をさせていただいたんです。大西さんが作・演出で。
大西 「ファイアーウォール」でした。
金川 社会派の作品でしたね。マグダレーナと冒険主義と暖団で協力して創り上げました。大変だったんだとは思うんですが、とにかく当時の演劇は元気でした。
大西 劇団数も多かったから、勢いがあったよね。まず、演劇をやるって、家族より長い時間を過ごす、家族以上の仲だから。
金川 仕事が終わって、早く稽古場に行きたかった。
大西 稽古が終わると、安い居酒屋でいろんな話して。
金川 そのまま仕事に行く人もいたり。
大西 稽古場で夜を明かす事もね。飲酒運転の取り締まりが厳しくなってから、段々そんな時間もなくなってきたね。
金川 演劇の発展は公共の交通機関の発展が不可欠ですね(笑)・・・そうかあ。さみしく感じるのは、そんな時間を共有出来る事が少なくなっちゃったからかな。
大西 稽古場への愛着は、違った形になって来たね。
《マグダレーナ》
大西 でも、劇団は減ったよねえ。
金川 1900年代は、劇団数は四国の中でも香川は多かったですね。劇団の数も多く、それぞれの「色」があって、面白かったです。
大西 昔は、公演があるっていうと、仕事も休めていたし。
金川 はい休んでたあ!(笑)
大西 劇団員どうしぶつかりもめても、みんなどうにか続ける方向を探したものです。
金川 確かに今の方が淡泊かもしれませんね。
大西 今は、もめるってのもないかなあ。
金川 寂しいですか?
大西 僕自身、生意気な性質だから、若い頃から本当に生意気だったからね。高校時代から映画を見たり漫画家を目指したりしていた。そして役者上がりだから、格好つけたスタイルを求めたりしていた。
金川 だから、役者なのに脚本を書こうと思われたんですね。
大西 誰も書く人がいなくて。マグダレーナも入った当初、ミュージカルや既成の脚本で上演をしていたんだけど、1991年上演の「NOT GUILTY」で「十二人の怒れる男」を日本風に書き換えた時に、国が違うわけだから、日本独自の差別を書き込んだんだ。そこから、本の読み方が変わってきた。いろんな事に疑問符を入れると、そこからストーリーが生まれる。
金川 テーマ性を重視されたんですね。
大西 反戦の集いに参加したり、身近にいた韓国人の話、慰安婦問題など、疑問に思わないなんて出来ない。書かざるをえないんだよ。1994年の「沈黙の声」はそんな中生まれた。
金川 1997年の大阪公演のお手伝いをさせていただきました。音響でミスしましたけど。(笑)
大西 (笑)。在日の親子が善通寺公演で告白してくれて、以降もみんな協力し合って、大阪公演が出来たんだよ。
金川 みんなの思いが結んだ公演でしたね。それからもいろんな作品が生まれますが。
大西 戦争と現代を切り離して考えてはいけないと思う。子どもたちの演劇でも、戦争に触れていくのは、そんな思いからなんです。
劇団は「受け入れる」場
《人間形成=演技》
即興演劇の必要性
金川 私は今インプロを勉強中です。県外にワークショップを受けに行くこともあるんですが、ワークショップはもちろんですが、その後の時間も濃密で楽しいんです。いつまでも話が尽きない。それは、当時の「演劇が好き!!!」って人たちと話をしていた時間と同じ空気を、感じるからかもしれません。
大西 「インプロ」は役者には大事なものだよね。まず「聞く」それから「見る」「感じる」を言うんだけど、どうしても役者は演技をしようとする。
金川 演技してしまいますね。ワークショップではよく「演技をするな」って言われます。その時、その一瞬に感じたことをキャッチして外に出す。頭と心と身体が繋がることが大切って。
大西 答えがない演技って、ともすれば変な方向に行ったりしない?
金川 そうですね。その場で創っていくので、変になってわからなくなることもあります(笑)大切なのは目の前の相手をちゃんと見て、聞いて、関わる。その一瞬一瞬を楽しむ!これは、台本芝居も同じですね。
大西 役者によって、受け方も感じ方も違う。でも台本という道筋がないよね。
金川 はい。インプロは、全然わからない未知の世界に進んでいくので、何が起こるかわからないですね。でも、その場で、しっかり相手と関わって編み出されるストーリーは、観ていてハラハラドキドキします。インプロは、よく、スポーツ観戦に例えられるんです。「この先、どうなるんだろう」って一瞬一瞬目が離せない。で、予想もしてなかったような展開になったりして、「本当に、今、創ったの?」ってビックリしてしまいます。大笑いするものもありますし、時には、涙なしには観られないようなストーリーもできるんですよ。あ、でも、全然できないときもあるんです。即興だから(笑)それもまた楽しい。「あー、できなかったね。」「やり直し~」って、またやる。そもそも即興だから失敗ってないんだけど、自分で「失敗した」「間違った」って思っても、やり直したらいいだけだし、うまくできなかった経験がとても勉強になる。
大西 今、子どもたちの芝居も見ているから分かるんだけど、小さい時からやっていけたら良いねえ。やりたい子半分、他の子は物怖じする気持ちを何とかしたいって思いで来ている。
金川 私は今、インプロの手法を使って活動をしています。たとえば、小学生と「劇あそび」といって、その場で劇を創っていくんですが、そのときに、じーっと様子を見ていた子がある場面で“声”で参加したり、なかなか自分の意見が言えなかった子が、みんなが困ったときにアイデアを言って、みんなを助けたりして大活躍するってことが起こることがあります。。大人しいって思われていた子が、イキイキと中心にいたりする。演劇ってすごい力があるなぁって思います。
大西 なるほど。演劇教室の子でも、どうなるだろうって思っていた子が、高校の演劇部に入ったり、演劇に進みますって言ってくれてね。嬉しかった。そんな子たちを増やしても行きたい。今度、一度教えて下さい。
金川 こちらこそ、お声掛けお願いします。(笑)
金川直美・・・あそ創造集団Xing(クロッシング)代表・インプロバイザー
あそび創造集団クロッシング ブログ
《演劇と人生》
金川 大西さんは、マグダレーナ以外でも、香川県の演劇に貢献されていて、素晴らしいです。年間公演2本作演出だけでも大変なのに。
大西 子どもたちの育成と、高齢者劇団の立ち上げ(現エルダーキャッツ)は、高松の演劇鑑賞者を増やしたい、劇場が近い存在になってほしいって思いがあって。どちらも最初からうまくは行ってなくて、でも、みんなで人集めから協力して。
金川 柴田さんみたいな人が必要ですね(笑)
大西 本当に、柴田君は貴重な存在の人だったね。本当に演劇が好きだったんだなあ。それで言ったら八木さんも常に戦っていた。みんなのそんな姿に影響されたよ。そんなみんながいなくなってね。
金川 頑張らなきゃいけませんね。
大西 よろしくね。
金川 はい!さて、テーマ性のある作品とは全然違う「爆笑劇」の取り組みもされてますよね。
大西 そう。つじつまが合わない様に思われるかもしれないけど、これも疑問からスタートしたんだよ。何故だか日本は笑いを軽視されてしまう。「なんでや!?」ってね。1996年「パパ、大好き」(クーニー作)を上演してから笑いを取り入れてきた。社会派は男性客が多いが、笑いになるととたんに女性客が9割。ここでも「なんでや!?」(笑)ってね。でもまあ、バランスかな。僕自身のバランスもだけど、さっき言った観客の層を増やしたいって気持ちがあってかな。いろんな劇団があって、いろんな作品があって良し。
金川 まさにそんな思いで、コメディ劇団「こめくら」も2014年立ち上げられたんですよね。
大西 そうだね。ちょうど良いホールがなくなって、石井君が米倉を紙芝居の研究所にするって言うから、芝居をしてよって。
金川 香川には身近な演劇のホールが少ないんですね。あかつきホールがなくなったのは寂しいですよね。
大西 そう、実験的な公演が出来る空間が欲しいよね。誰でもチャレンジできるホールがないのが、残念だね。
金川 それも、これからですね。
大西 そう、まだまだやらなきゃいけない事があるね。ブルーポラリス賞の立ち上げも、陰日向頑張ってる人たちに向けての賞。演劇だけではないんだけど、普通に生活している人たちが人生をかけて取り組んでいる事を称えたい。そんな思いなんだ。やっと芸術団体連絡協議会以外からも参加申し込みが来るようになった。
そんな風に、今やっている事をやり甲斐として思える事が大事なんだと思うよ。
金川 広がりとつながり。そこから深みが生まれてきますね。今日は貴重なお話をありがとうございました。
大西 インプロ教えてね。
金川 はい!
※1 柴田氏・・・「劇団冒険主義」「劇団マグダレーナ」等、劇団の立ち上げや、演劇の盛り上げに純粋に情熱を傾けた方でした。
※2 ブルーポラリス賞・・・高松市芸術団体協議会主催事業
編集後記・・・お話が面白く、楽しいひとときでした。思い出に花が咲きました。
お二人とも丁寧な活動を続けられて来られたのですね。
ありがとうございました。
2015年8月某日 劇団マグダレーナ稽古場にて