テーマ 「地方での演劇の役割」
2022年5月30日
四国学院大学ノトススタジオにて
書き起こし・写真 合田玲子
取材 古宇田育代
【教育と演劇】
◎高校演劇、大学専攻演劇について、そして社会人演劇について
山本:香川県の高校演劇の大会は、審査員をされてないんですか?
西村:はい、やってないんですよ。
山本:そうですか。実は、息子が県大会で西村先生にコメントをいただいて、こんな本(戯曲)を読んでみてはと紹介していただいたと言っていたんです。
西村:毎年6月にノトススタジオでやっている研究会でしょうか。香川に来た当初、講評だけ担当していた時期がありましたので。
山本:そうですか。それで県大会の審査員をやっているのかなあと思って真面目に調べてみたんですよ。でも、見つからなくて、最近高校演劇の審査員をされたのは。
西村:中国地区のブロック大会です。
山本:中国大会は面白いですよね。けっこういろいろなタイプの芝居が出てくる。
西村:はい、いい作品がいっぱいありました。でも、審査をするって難しいですね。そもそも演劇に順位をつけることに矛盾があって、もちろん、自分なりの演劇観で審査講評もするし、順位もつけるんですけど、それが絶対ではないでしょう。人それぞれ価値観も違うし、面白いと思うものも違う。同じ人でもその日の体調や状況によって感じ方も違うし。観ている人がいいと思ったらそれでいいですもんね。
山本:高校演劇のあり方っていうんですかねえ。評価はむずかしいですね。芝居や演技の質などもありますが。
西村:私は高校演劇をやってこなかったんですが、外からみてると、大会があることで特殊な進化をしてしまった気がします。いい、悪いじゃなくて。
山本:確かに、高校演劇っていうのはいわゆる演劇じゃなくて、「高校演劇」っていう世界。だから審査自体も、「高校演劇」の審査になっているっていう側面もある気がします。
西村:だから、そこに急にプロの審査員が来てどうのこうのっていうのも、ちょっと違う気がして。それって高校生にとってすごく理不尽なことなんじゃないかと感じます。
山本:2000年の全国大会で、川之江高校が1位になったんです。その時、僕は審査員だったので覚えていますが、等身大の舞台でした。つまり高校生が高校生を演じる、すごくフレッシュな舞台で良かった。でも、それ以来、高校生が高校生を演じる形が、全国大会の理想形みたいになった。みんなそんな感じになった。それまでは、いろんな方向性があって、いろんな芝居をやっていた。例えば、香川県大会はいくつも同じような教室のシーンが出てきたりしました。しかも、大道具も似通った感じで。かといって高校生が高校生を演じてリアリティがあるのかっていったら、そうじゃなかったんです。
西村:「作られた高校生」ってことですね。
山本:そうなんです。その時の川之江高校の作品はね、ほんとナチュラルなものだったと思うんですよ。そのうちパターンになり、だから、本当の高校生じゃあない、一つの高校演劇の形みたいになっている。それが審査基準にもなっていった感じですね。
西村:高校生らしいか、らしくないかですね。
山本:そうなんですよ。
西村先生が息子に紹介してくださった本、全部買いました。その中に、岡田利規さんの本があって、僕も読んだんです。
山本:それで、実はショックを受けて、僕自身も演劇に対する考え方が変わったんですよ。
西村:岡田利規さんの登場は衝撃でした。彼が2005年に岸田戯曲賞をとったときは、小劇場では注目されてましたが演劇界全体としてはまだそこまで認知されてなかったので、セリフの新しさに審査員はとても驚いたそうです。
山本:僕も、興味を持って、動画を観たりして…とにかく演技が自然。それが、稽古風景の動画を観たら、一言一言、演出家のチェックが入っているんですね。ナチュラルな演技っていうのが、いかに難しいかっていうか、ほんとに一生懸命作らないとナチュラルにならないんですよ。
僕も指導していた高校で全国大会に行きましたが、全国大会に向けて、讃岐の方言でやろうとしたんです。僕らはなぜかそれまで標準語でこの劇はやらないといけない!みたいなことがあって、標準語でやると、東京の子達が得じゃないですか。だから標準語じゃなくて、方言でやることにしたんです。ところが、実際にやると普段の言葉にならないんですよ。オーバーな言葉になってね。
西村:変な関西弁みたいになってね。
山本:そうなんです。だから、普段やっていることを、そのまま芝居に、っていうのが、いかに困難なのかっていうのがね。
西村:難しいと思いますよ。結局、リアルなんてどこにもないし、ほんとにリアルなものが舞台にあっても面白くもなんともないし。ファミレスの1時間をリアルに舞台に再現しても面白くはならないですよ。単純に観客がどうリアリティを感じるかっていうところが一番肝心なところで。
岡田さんは「てにをは」をわざと言い間違えたり、言い直したり、何回も同じところを繰り返ししゃべったりして、それを全部セリフにしたんですよ。岡田さんは口述を書き起こすバイトをしたことがあって、そこでの経験がきっかけになったということをどこかで読みました。あれ、本人から聞いたのかな?岡田さんとは昔から知り合いで、うちの大学の講師として何年か来てもらってました。
山本:形だけ真似るんだったら真似ればいいんだけど、じゃなくて、ああいった芝居が出てくる元はなんなんだろうと思って。何演劇って言うんだろう?
西村:ブレヒトの異化効果??ですか。
山本:そう。例えば、交通事故を舞台上でそのまま引き起こすんじゃなくて、こんなことがあったんだと言うことを説明することで、客の頭の中にその交通事故の光景を思い浮かべさせると言うことでいいんじゃあないかって。
ドアを開ける芝居だとすると、「ギーッ」とか「バタン」なんて音を出すより、実際にしゃべって「その時〇〇はドアを開けた」って言ってドアを開ける動作をしてしまった方がはるかに良いんじゃないかと。言葉の威力っていうのはすごい。岡田利規さんの芝居を見ていて、そう思ったんです。ひたすら喋り続ける。
西村先生が、息子に勧めてくれたことがきっかけで、僕が出会った。僕は全部読んだんですよ。それで、僕が衝撃を受けたの(笑)
息子は高校の時、台本書いていて、最近、2本目に書いたのを読み返してみたら、面白かったんです。
西村:面白かったですよ。県大会も観ました。すごく面白かった。なんか独特だし、「あの頃」大変だったことをちゃんとフィクションにしてたし。こういうことを書く高校生って面白いなあって。
山本:おかげさまで、今東京でやろうとしています。
西村 : 嬉しいですね。頑張って欲しいです。
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◎「演劇」作品作りについて。
西村:初めて作品作りでご一緒したのは、かがわ文化芸術祭での「香川の演劇」ですね。※1
山本:「曖昧さは罪じゃない」という僕の台本を、西村先生に演出していただいた。今日はその事をお話ししたかったんですよ。僕としてはすごく面白かったんですよ。
西村:あの作品は良かったです。再演したかったですね。
山本:思うんですけどね。ノトススタジオができて、香川県で、東京行かないと観られないような芝居が観られる。西村先生の芝居はすごく面白いし、観る価値がある芝居がたくさんあると思うんです。だけどね、広く広報しなくても席が埋まってしまうのではないでしょうか。いつも同じ人たちが観に来ているだけで終わってしまう。もちろん、地元劇団の場合でも、良い芝居をするところもあるのに、そこはそこで同じ人たちが観に来てて、知らない人たちも多い、ということはあります。
西村:だから、結構限界を感じているんです。ここは独特で、大学の施設っていうのはちょっとネックにはなってて、一般の人だと敷居が高く感じられていたり。知っていれば、気軽に観にきてくださる。知らないと全然情報が届いてない。
山本:だから、ものすごくもったいない。東京でないと観られないものがここでは簡単に観られるんだから。
西村:大学が主催なので地域還元の意味もあって、チケット料金も通常よりかなり安く設定しています。
山本:だけど、みんな知らない。コアなファンはついてて、その人たちが来たら大体席が埋まってしまう。それで成り立っていってしまう。もったいないので、何度もやってみたらどう?って思います。再演をね。何度もやるとなれば、いろんな人に来てもらわなければならなくなるでしょ。みんなそうしていったらどうかなと思います。一生懸命芝居作って大体2回とか3回公演くらいで終わって。
西村:2017年から、県内の人だけではなく、もう少しいろんな人に観てもらいたくて四国ツアーというのをサラダボール(※2)で始めました。
去年も、新作作って愛媛・香川・徳島のツアーをしたんですが、新作作るのってすごく大変じゃないですか。その上、いい作品になるかどうかギャンブルで。新作のツアー、しんどいねって劇団でもなって、そろそろ、新作を作り続けるやり方を変えてみようかなと思っています。
今年の秋の新作は三島由紀夫の近代能楽集をやるんですがノトススタジオだけで上演して、それが良い作品になったら来年か再来年にツアーしようかなと。そういうサイクルで今後は回そうかなと思っています。
2021年に香川と愛媛で上演した「三人姉妹 monologue」はとても好評だったので、今年の夏に松山市で再演、東京にツアーという形にしました。出演者も3人でコンパクトな座組みなんで今後、劇団のレパートリー作品としていろんな形で上演できたらなと思っています。
山本:ご一緒した「曖昧さは罪じゃない」は、会場を「Umie(ウミエ)」という喫茶店でやったのも、良かった。
西村:企画段階から、大学生が出演するのと、「Umie」でやるのが前提でしたね。海が席から見えて綺麗な会場でした。
山本:海が見える、ちょうどその喫茶店での出来事。そこから宇高国道フェリーに乗って、またもどってくるっていう。
あれ再演しなきゃもったいない。学生も、西村先生の演出もすごくいい感じで。僕が覚えているのは、この女の子のこのセリフで、泣かせてくださいっていったら、ちゃんと泣ける芝居になってた。このセリフで泣けるんですか?って言われたけど、すごくいい感じで泣けました。
西村:そうですね。作家の意見は尊重しないと。
山本:だからもったいないんですよ。やっぱりやるべきなんじゃないかな。
西村:当時の学生達も良かったですね。
山本:僕はね、かがわ文化芸術祭の実行委員なんですけど、多分20年くらいやってるんですよ。
初めてだったんですよ、自分の書いた作品を芸術祭で演ったのは。実行委員として、企画とか運営とかはやっているけど、自分が書くなんてことは、してはいけないって思っていて。自分が委員で、公私混同みたいな気がしたから、当初はやりたくなかったんだけど、やって良かったって思います。僕自身もいい経験になった。
西村:僕も良かったです。かがわ文化芸術祭のオープニング演目みたいな位置付けでしたね。劇場から飛び出して、10月の、夕日が沈む時間帯に芝居が終わっていく感じの。とても良かったですね。いろいろ楽しかったです。勉強させていただきました。
山本:いろいろな分野の人とやるっていうのは、良い経験になりますね。
※1 「あいまいさは罪じゃない」
瀬戸内国際芸術祭2016パートナーシップ事業として、かがわ文化芸術祭主催事業公演「かがわ演劇祭」公演が行われた。若い世代の人間模様をリアルに描く作品であった。作:山本恵三氏、演出:西村和宏氏が、海が見える喫茶店(umie)で2016年10月、3回公演。
※2 サラダボール
西村和宏氏主催劇団。2006年青年団内ユニットでの活動開始から、、2006年拠点を善通寺市に移し、香川県から四国、東京など、多方での公演を行なっている。
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◎今後の香川県での演劇について
脚本を書くということ
山本:最近はオペラの台本も書いています。香川県での国民文化祭の時に、オペラの台本を一本書きました。その作品もそれっきりなんですよ。それ以来1回もやられたことがない。規模的に、実際に再演は難しい作品でした。
その後、「扇の的」っていうオペラを書きました。あれは何回もやっている。海外公演もありました。それは、企画から、何回もできるように作ろうという話だった。再演するなら、初めからそう言うつもりで作っていくっていうことだと思うんですよね。そうじゃないと1回で終わってしまう。それって、それなりの覚悟もいるしね。直しながらよくしていくことで何回も見られるように。同じ人がもう一度見たいと思えるっていうかね。本当にいい芝居ってそうじゃないですか。また見てみたいって。
台本を書くって自分が最終どこへ行くのかって分からないんですよ。あれ書こうとかないんですよ。最後にこれ書くしかないっていうところを書くしかないんですよね。あの時はあれが僕の一番書きたかったこと。そういうのが切実さとして現れる。新しく書いた作品は「天使論序説」、天使が出てくる話なんですよ。なんで書こうと思ったかというと2年前、息子が、「私は未来」っていう作品を書いて上演しようとしてて、それに天使が出てくるんですよ。それにすごく影響を受けて、でも僕は、天使はこれじゃないだろと思って、僕の今度の作品は、天使は出るんですけれど、完全リアルな芝居です。
高校演劇に書き下ろした作品があったんですが、四国大会の幕間討論で台本がダメっていうのを10分ぐらい言われたことがあります。
西村:聞きたい(笑)
山本:長々と批判されて、でも、その後、誰かが手を挙げて、「そんなことはないと思います」って発言してくれてホッとしたこと覚えている。だから、審査って厳しいです。そんな風に批判されるのはまだ良しとして、無視されるってのは辛い。言ってもらって直すってのが全然良くなるんですよ。だから、言ってくれた方がいいわけ。自分が書いたものだからけなされてるって感じにはなるんだけど、最初だけですよ。いい作品を作るプロセスだから。芝居ってみんなで作るじゃないですか。だから台本の段階でこれダメですとか言ってくれたら喜んで直す。
最後はいい芝居ができるのがいいので。自分が目立ちたいわけでもないし、役者が光ったらいいなと思っている。ただ、いい芝居が作れたらいいし、それに関われたらいい。西村先生にも久しぶりに会えたので、僕の拙い台本でもやってほしい。
西村:書くのが1番好きですか?
山本:はい、書くのが1番好きですね。だから今度オペラの台本も書こうと思ってるんです。
西村:精力的ですね。
山本:オペラはオペラで、普通の演劇とは書きかたが変わってくるんだけど面白くってね。
山本恵三
高松市に生まれる。大学卒業後、大学院を経て、帰郷し公立高校教員となる。演
劇部顧問として、自らの台本で全国大会に5回出場。「国民文化祭・かがわ ’9
7」にてオペラ「龍神の玉」の台本を手掛けた。2014年、オペラ「扇の的」の台
本を書き、上演された。琴平高校の校長を退職後、劇団心音ノックを立ち上げる。
「演劇のための劇場が必要」
山本:僕聞きたいんだけど、四国学院大学の演劇コースを出た学生というのはあんまり香川県で芝居やってないですよ。卒業生は東京で芝居やってるんですか?
西村:そうですね、東京に行ってプロの俳優を目指すは一定数います。でも、香川に残ってうちの劇団に入った子もしますし、仙石先生(四国学院大学准教授)が主催している劇団「オムツかぶれ」に入って活動を続けている子もいます。あとは、地元に帰って演劇ができる環境を模索している子もいます。
山本:せっかく四国学院大学があるけど、あんまり高松に来ないっていうのは良い劇場がないってことですね。
西村:ほんとに今日はそれが喋りたいことで。一番危惧しているのは、若い人たちが県内でやる場所がないことで、大学卒業して、演劇やりたい!ってなった時、すくなくとも香川県には1年目に旗揚げ公演できる様な会場がまずない!というのは、結構ネックになってると思います。場所がないと、人は育たないんです。
山本:既存の会場のキャパは、小さくても300人ですね。そこまで観客を集めるのは、最初は大変ですね。
西村:そうなんですよ。キャパがそれだけ大きいと必ずプロのスタッフを入れないといけないので、お金もかなりかかる。公演、打てないですよ、それだと。若い人が練習や稽古ができるようなスタジオや、簡易的な設備があって専門的な知識がなくても発表できる場所、アマチュアの人が気軽に使える場所が欲しいとあっちこっちで言ってます。若い人が育つ場所が欲しいです。コロナになって、よけい危機感を感じていて、今の時代、自分がもし若かったら、演劇続けてなかったかもなと思います。それくらい、いろんなハードルが高くなってしまった状況が前提としてあるので、このままいくと若い人が演劇やってくれないんじゃないかと不安に思っています。
山本:東京は狭いけどいいホールがある。若手だけじゃなく著名な人も使ってる。
西村:青年団が持っているこまばアゴラ劇場は、ノトススタジオの3分の2くらいしかない。でも天井も高くて良い劇場です。そこからいろんな人が育って、国内外で今も活躍しています。
山本:だからね、「演劇」を感じてもらうのに、別に広いホールとかばかりじゃなく、目の前に感じる空間が必要なんですよ。お金出すような人が、そういう「演劇」を見てないから分からないんだよな。
西村:おっしゃる通りだと思います。キャパが300人を超えると、微細な空気感みたいなものは感じられないし、演劇の本質というか面白さが伝わらないと思います。人口減少が進む中で、大きなホールを作る必要はなくなってきていると私は思うので、社会人になったばかりの人や大学生、高校生が、「演劇やってみたい」ってなった時にやれる場所や学べる場所があるといいですね。そして、その後、若い集団が継続して活動ができる状況をどうにかして作っていく必要があると思います。
山本:そうですね。継続して行くことも大切ですね。そんな中でいろんな経験がありますから。
演劇コースや、公演では、コロナの影響はいかがでしたか?
西村:客席数を制限したり、外部での公演が中止になったりはしましたが、大学側の理解や学生たちの努力のかいもあって、ありがたいことに結構早い段階で対面授業や公演をやれています。こまめな消毒やPCR検査など、大変は大変ですけど。
山本:やっと、少しずつ動き出していますね。僕も、少人数で構成した小さな作品からスタートしたいと思います。
西村和弘
演出家・サラダボール主宰・四国学院大学准教授・
青年団演出部・香川大学非常勤講師・ノトススタジオ芸術監督。
1973年兵庫県生まれ。
香川大学卒業。1999年より川村毅氏が主宰する第三エロチカで俳優として活動。
2002年にサラダボールを立ち上げ、以降すべての演出を手掛ける。
2005年より平田オリザ氏が主宰する青年団の演出部に所属。
青年団若手自主企画として新作を次々と発表するかたわら、アジア舞台芸術祭、大阪短編演劇祭、長野市での市民劇の創作など外部での演出も精力的に行う。
2011年より香川県善通寺市の四国学院大学で教鞭をとり、中四国初となる本格的な演劇コースの立ち上げ・運営を行う。これを機に自身の演劇活動拠点を香川県に移す。2017年からは”拠点四国”を劇団として打ち出し、個人の活動も四国全域に広げる。かがわ文化芸術祭2013主催公演「かがわの演劇 はじめの一歩」、小豆島での島民劇「二十四の瞳」、愛媛松山市での子供向け演劇「アリとネコとキリギリス」など四国内での市民劇創作や高校生・市民向けの演劇ワークショップを多数行っている。子供向け音楽劇から、シェイクスピアや岸田國士などの古典から現代戯曲まで幅広く手がける。
【2022年現代から未来への可能性】
山本:西村先生に頑張ってもらいたい。四国学院には演劇コースがあって、しかもプロが来てすごく良いものを西村先生も作られてるんですが、それがもっと香川県に影響力を持たなければならないと思うんだけど。
西村:(笑)いやいや、それは・・・ありがとうございます、もっとがんばります。でも、山本先生も一緒に頑張ってもらわないと(笑)。山本先生は演出もされますが、俳優に求めることってなんですか?
山本:役者の演技のことで言えば、まずは自然だってことです。中身のある演技をやるところからスタートしないと。作るとかいうのは先の話だと思いますけどね。多分ね、プロは作るんだと思う。相当なレベルになったらね。だからプロは本当のリアルなまま、別の人間を作っていける。「演じる」ことができる力量を持ってるけど、普通、そうはいかないと思う。中身もないのに何かを真似てるみたいな。普通にやってくれってスタートするしかない。演技って年季のものじゃないですか。
西村:そうですね。私も、市民劇を作ったりする時にはそういうことを出演者の方に伝えます。「変にキャラクターを作る必要はないです。なるべく自分でいてください。作ったものより、あなたが生きてきたキャリアの方がよっぽど面白いし、リアリティーがありますから」みたいなことなんですけど。
山本:今までもこれからも、演劇を続けていくのに、東京や都会に!である必要ってないと思う。
ただ、観客は少ないんですよ。それは演劇だけじゃないんです。相関関係にあるらしいんですよ。音楽を聴く人間も少なけりゃ、演劇を観る人間も少ない。そして音楽を聴く人間が多けりゃ、演劇を観る人間も多い。繋がっている。
西村:人口が少ないですからね、どうしても。パイが少ない。
山本:30年くらい前のことですけど、海外では、週末ちょっと芝居でも見ようかという感じだった。
西村:ヨーロッパでは演劇が生活に根付いてますからね。
山本:うどんが定着するのは、香川で、みんなうどん食べるからなんですよ。それで、県外の人たちも、香川のうどんに注目する。演劇も、まず自分らが盛り上がって、気楽に行ってみようっていう習慣。そう、芝居だけじゃなくて音楽でもバレエでもなんでも良い。みんなが、劇場に行く。生活の中の活力源かもしれない。
そして、元の生活に戻るんですけど、そのための劇場がないと。小さな劇場で、照明がきちっと仕込めるような、舞台周りが広いような、そんな場所があったら良いんですけどね。お金のかかる話ですね。
西村:結局、その話に戻ってきますね(笑)
演劇を習慣づけるには子供の時からしかないと思います。ここ数年、幼児向けとか小学生向けとかそういう作品を定期的に創るようになりました。子供の時から舞台芸術に触れて欲しいという想いはもちろんなんですが、保護者は、自分のために演劇は観にいかなくても、子供のためなら観に行くということが分かったんですよ。
山本:それは絶対ですよね。
西村:2015年に依頼を受けて丸亀の生涯学習センターで子供向けの演劇を初めて作った時は400人のホールがパンパンになって、びっくりしました。それから、子供向けの作品をノトスでも上演するんですけど、一番観客が多いです。あっという間に予約がいっぱいになっちゃいます。東京から呼んでくる人気劇団より僕の子供向けの方が売れ行きがいい(笑)。家族で見に来るので1グループの数が多いんですよね。ま、そういう経験もあって、ある一定数の市民は、演劇の必要性を感じてくれていると思っています。
山本:家族で観る習慣が大切ですね。確かなものを提供する姿勢が続くと良いのでしょうね。そういう人たちが育って、「演劇」をまた親子で観る。高校演劇、学生演劇、アマチュアとね、繋がっていく。そして、親になって・・・観る層も増えるんですよ。
西村:だからやっぱりいい劇場が必要ですね。
山本:僕らでやりますかね。